天上の華

#3 冷たい滴の下で

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ちゃんと、思い出そう。

あたしは母と心中した……と思う。

 

包丁が、刺さった瞬間まで、あたしの意識ははっきりしていた。

焼けつくような痛みを覚えているけれど、死んだのかどうなのかわからない。

 

そもそも、死の境界線ってハッキリと自覚できることなのかわからない。

先がないのに、境界線を越えたかどうかなんてわかるわけがない。

 

だけど、おそらくあたしはその境界線を越え損ねたのだと思う。

もう一度、目を覚ましてしまった。

 

華美な部屋で目を覚ました時、あたしの喉には剣先が突き付けられていた。

金髪の男は、閻魔様―――とは違う気がする。

 

「あー、もう、わからない」

あたしは頭を抱えた。

 

何度、思い出しても、状況を把握することができない。

 

死んだはずなのに、目を覚ましてしまい、誰だかわからない人間に意味のわからないことを言われた。

 

その挙句、今、あたしが居るのはおそらく“牢屋”だ。

 

天井から冷たい滴が、ポツリポツリと落ちてくる。

雨漏りかわからないけれど、衛生的にはかなりひどい場所だ。

もう、何時間、ここに居るのかわからない。

鉄格子の中に押し込められて、何の説明もないまま、あたしを連れてきた男たちまで全員、姿を消した。

 

暗い地下に位置する牢屋の周りには、人の気配は一つもない。

 

「誰か、いますか?」

 

死を決意していたとはいえ、お腹もすいたし、喉も乾いた。

餓死させるつもり?

 

一度は痛い想いをして、死を受け入れたのに、どうしてまた、こんな目にあわなきゃいけないんだろう。

不幸な人には、不幸しか、やってこない。

 

「―――お嬢さん、名前は?」

不意に声がして、ぎょっとして顔を上げた。

ついさっきまで、本当に誰もいなかったはずだ。

少なくても、鉄格子から覗く範囲には誰もいなかった。

 

なのに、今、あたしの目の前には―――正確には、鉄格子を挟んですぐ、目の前に男が立っている。

 

「貴方はだれ?」

初めて、見る男だ。

さっきの冷たい視線の男よりもなぜか妙に恐怖を感じた。

目の前に立っている男は、うっすらと微笑を浮かべていて、あたしを見下ろしている。

 

「君に、聞く権利はない」

笑っているのにもかかわらず、粟立つような恐怖をひしひしと肌に感じる。

 

「お嬢さん、名前は?」

「さ、西條有希」

 

「さい?サイジョウユキ?変わった名前だなぁ」

 

目の前の男は黒髪だけれど、青い目をしている。

たぶん、外国人なんだろう。

 

それにしても、日本人の名前を変わっているなんていう外国人は珍しくないか。

 

その時、ハタと気がついた。

 

―――あたし、なぜ、言葉が通じているんだろうか。

 

彼が流暢に日本語を話しているから?

妙な違和感を覚えた。

 

「サイでいいの?」

 

「えっ?」

「名前は、サイ?」

「いえ、有希です」

「ユーキ?」

「ゆ・きです」

「ユーキね」

 

もう、いいか。

外国の人には発音しにくいのかもしれない。

 

有希でも、ユーキでもどっちでもいい。

とにかく状況を説明してもらえるなら、なんでもかまわない。

 

「君はどうして、王の部屋にいたんだい?」

「オオの部屋?」

「どこの国の間者だい?」

「国?日本ですけど」

「ニホン……?」

 

あたしと、彼の間にもやはり、隔たりがあるようだ。

噛み合っていない会話だと、あたしも彼も気が付いている。

 

「ニホンって村の名前かい?」

「村?いえ、国です」

 

「そんな国はない」

 

きっぱり言い切られて、馬鹿にされているのかと思った。

 

広い世界と言えど、日本を知らない人間なんて、そうそう、いない。

小さな島国と言えど、経済大国日本だ。

 

「―――ベロニカかい?」

「べろにか?」

聞き覚えのない単語に、眉をひそめた。

 

「ソーリ?それとも、まさか、シンシア?」

 

人の名前だろうか。

意味がわからず、あたしは首を横に振ってみせた。

男はククッと喉を震わせて笑った。

 

「今、素直に吐いたほうが身のためだ。とびっきりの拷問を受けたいわけじゃないんだろう?」

 

拷問?

そんなものを受けたいわけじゃないけれど、素直に吐くべきことが分からない。

 

「―――ここはどこなんですか?」

 

なんとなく、その質問が、今この違和感を解くカギのような気がした。

 

質問は跳ねのけられるかと思ったら、男は一瞬、眉をひそめて、すぐに答えた。

 

「ここは、グロリア国、王城だ」

 

 


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