天上の華 #10 苦しみを天秤にかける 次の日、目が覚めると、朝日が部屋に差し込んでいた。 この陽の光も数時間すれば、重たい雲の幕の中に消えてしまう。 あたしはベッドを出ると、クローゼットの中からドレスを一枚、一枚取り出した。 華美なドレスではないけれど、ジーパンを好んで履いていたあたしにとっては、わずらわしい服であることには違いなかった。 けれども、あたしはこの城に置いてもらっている身だし、我儘を言える立場じゃない。 そういえば、いつもなら、双子たちがあたしの世話をしにくる時間だけれども今日は、双子たちが来ない。 ガイエンが昨日、言ったのは自分のことは自分でやれって意味なのだろう。 とはいっても、食事などはどうすればいいのかわからない。 ちょうど、着替えが終わった時、ドアをノックする音がした。 「おはようございます。食事をお持ちしました」 双子の片割れが立っていた。 「えっ―――」 部屋の隅に置かれたテーブルに、如才なく、朝食の準備を行っている双子の片割れに、あたしは目を瞬かせた。 「いいの?」 「はい?」 彼女が、顔をあげてきょとんとした。 「国王陛下のお世話に戻ったって……」 「ですが、ユーキ様の担当をすべて、外れたわけでもありません。今は、ジェインが陛下の朝食を準備していますから、私はユーキ様の朝食の準備をさせていただきます」 話の流れから彼女が、ライラックだとわかった。 今までは見せてくれなかった笑みを持って、あたしの言葉に答えてくれる。 「どうして、あたしのことをユーキ様って呼ぶの?」 ライラックが、フフッと声に出して笑った。 「いけませんか?」 「―――あたしは別に、偉い人じゃないし……そもそも、居候みたいなもので……」 「わかっています」 ライラックがキッパリと答えた。 「なら、どうして……」 「ユーキ様のことは、王の客人として扱えとガイエン様に言われております」 「はっ……?」 「ユーキ様、陛下は優しい方です。おそらく、お会いしても厳しいことしかおっしゃっていただけないかもしれません。しかし、その裏には民を思う気持ち、国を思う気持ちを誰よりもお持ちでいらっしゃいます」 ライラックが、国王を尊敬しているのだとひしひしと伝わってきた。 「たとえば、もし、ユーキ様がベロニカ国王城に突如、現れていれば、貴方はきっとその場で斬り伏せられていたでしょう。貴方様が今も、この部屋で暮らしているのは陛下の優しさです」 ―――そうかもしれない。 金髪男は、あたしを殺す機会を何度も、持っていた。 初めて会った時、あたしを殺すことができたし、庭で会った時もあのまま殺すことができた。 たとえ、あたしを切り殺したとしても、文句をいう人なんて誰もいない。 「―――右も左もわからず、戸惑われている貴方を見捨てる方ではありません」 ライラックの目が輝いているように見えた。 羨ましい…… こんなにも誰かから、愛される存在である彼を、羨ましく思った。 ***** あたしは朝食を終えると、城の中を探検にでかけた。 「あちらに見える塔には近づかないでください」 ライラックが窓から指差したのは、双子の塔の片割れだった。 あたしが「わかった」と頷くと、ライラックはあたしを部屋から送り出してくれた。 今日は、彼女は従いてこないらしい。 本当に信じてもらえたのだろうか。 異世界から来たなど、摩訶不思議なことを言うあたしの言葉。 本当に―――… 「お嬢さんは、城の中で何を見つけたいんだ?」 廊下を歩いていたあたしに、不意に降ってきた声に足を止めた。 周囲を見回しても、誰の姿も見えない。 庭に面した廊下の端から端まで、誰もいない。 庭に首を突き出してみたけれど、外にも誰もいない――― 「こっちだよ、お嬢さん」 背後から声がして、ぎょっとして振り返った。 「あっ、あなた……」 牢屋であった黒髪の男が、あたしの背後に立っていた。 「いつから、そこに……」 さっき振り返ったときには確かに誰もいなかったはず。 なのに、今は確かにあたしの目の前に黒髪の男が立っている。 「ふふん」 ちょっと得意げに、男が笑った。 「ユーキこそ、なにしてるんだ?」 「―――あたしは、図書室とかそういうところに行きたくて……」 「図書室?」 「この国の事を知りたいの」 男は、きょとんして首を傾げた。 「なぜ?」 「だって、この世界で暮らしていくのにあたしは無知だから」 目を伏せたあたしのツムジを、男がじっと見つめている。 「ふーん、不思議だな」 不思議な返事に、あたしが顔を上げると、男がニヤニヤと笑っていた。 「“帰りたい”と言わないんだな」 「えっ―――」 「あんたは、異世界から来た、と言ったよな」 「……えぇ」 「普通、元の世界に帰りたいというもんじゃないのか。なぜ、この世界で生きていくことを考えるんだい?」 笑っている男の瞳に、攻撃的な剣のようなものが映った。 あたしを突き刺すかのように、奥に潜んでいる。 「元の世界に戻ったら、きっと、あたしは生きる必要がないから」 男の表情が崩れた。 「はっ?」 「―――言ったでしょう?あたしは、自殺をしたって。きっと、元の世界に戻ったら、死んじゃうと思う」 あたしの元の世界での生はきっと、あの瞬間に終わったと思う。 ならば、なぜ生きているのか、聞かれてもわからない。 だけど、万が一、元の世界に戻ったとしても、あたしが、あの瞬間から助かることはないと思う。 ―――あたしは、やっぱり、あの瞬間に、死んだんだって思う。 「自殺ね、お気楽なこったな」 さげすむような声が落ちてきて、あたしは男の顔を覗きこんだ。 造り物のような笑みを張り付けていた男が、今は、吹き荒れるブリザードのように凍っている。 「この国は、今、戦に明け暮れている」 ガイエンから聞いた話だ。 あたしは頷いた。 「生きたくても生きられない奴がいる」 「―――…」 「そいつらを前に、あんたは自分から死を選んだと言えるか?」 この男はあたしを、嫌っている。 ううん、正確には、憎んでいるのかもしれない。 あたしのように、自ら死を選ぶような人間を許せないんだと思う。 「すごいですね」 彼も苦しんでいるんじゃないかと思う。 きっと、戦争で心が傷ついているんだと思う。 だから、あたしはもっと大人になって、彼の怒りを受け止めてあげなくちゃいけないのかもしれない。 だけど、あたしにはできなかった。 まっすぐに彼を見つめて、冷えた心で彼に言った。 「貴方は、人の痛みを比べて、どちらが辛いかを天秤にかけることができるんですね」 男が、ハッと息をのんだ。 グッと唇を噛んで、怒りなのか悲しみなのか、複雑な気持ちを押し殺している。 「―――あんたにはわからない」 苦し紛れの台詞をあたしは鼻で笑った。 「あたしの苦しみだって、貴方にはわからない」 男は踵を返すと、黙ったまま、あたしから離れて行った。 あたしは間違ってことは言っていない。 だけど、後味の悪いことをしてしまった。 彼が傷ついていることはわかっていたはずなのに、人を傷つけた痛みはいつだって、自分に返ってくる。 痛む心臓を服の上からぎゅっとつかんだ。 |