天上の華 #5 日差しの恵み 城の一番、地下にある牢屋は、ひんやりと冷たくなっている。 最初は少し寒いぐらいに思っていたけれど、だんだん、身体の芯まで冷やしていき、今では身体がキシキシと痛む。 学校から帰ってすぐの出来事だったから、薄手のセーラ服にハイソックス。 靴もはいていない姿で、寒さは身体全体を冷やしていく。 寒さで奥歯をグッと噛みしめてしまい、息を吸いこもうと口を開くとカチカチと歯がなってしまう。 ずっと、二本の腕で身体を抱きしめてみるが、自力で温まることは不可能だ。 昨日から、一滴の水も飲んでいない。 お腹がすいているのは、我慢できる。 しかし、乾いて張り付いた喉はひりひりと痛みだして、水不足はだんだん、頭を朦朧とさせる。 「―――このまま、死ぬのかな」 死んでも構わないと思っていた。 ……というよりも、差し迫った死を仕方がないもの、と思っていた。 それなのに、今、じわじわと迫りくる死に恐怖を感じていている。 このまま、ここに居たら、餓死するんだろうか。 凍死するんだろうか。 乾いた笑いとともに吐き出した息は、視界に真っ白く広がった。 「―――お迎えにあがりました」 一瞬、少女の声に黄泉の国からの迎えかと思った。 しかし、顔を上げるとそこには、二つの顔があった。 ―――もちろん、足もあるようだ。 「ユーキ様ですね?」 あたしの視力がまだ、確かならば、目の前の少女たちはおそらく一卵性双生児。 うつろな視界に揺れて、ダブって見えているだけでないならば……だけれども。 「どうぞ」 促されても、立つこともできなかった。 感覚の失った足は、まるで自分のものではないようで、どんなに脳が命令を出しても動こうとしない。 鉄格子を掴んで、身体を持ち上げようとするのに、腕すらも骨がなくなってしまったかのようにすぐにクニャッと歪んでしまう。 双子は顔を見合わせて、鉄格子の中に入ってきた。 引きずるように、あたしを外に押し出す。 双子は見た目よりもずっと、力があるらしく、両脇からあたしを支えるとゆっくりと歩き出した。 階段を登る……というよりも、登らされながら、上へ上へと目指した。 丸一日ぶりに、光が見えてくる。 薄暗い牢屋からはいずり出て、初めて光の温かさを知った。 太陽が差し込む廊下に出て初めて、朝なのだ、と知った。 空にあるのが当たり前に思っていた太陽を、初めて愛しく思った。 「行きますよ」 足を止めていたあたしに、双子から両脇から引っ張り始めた。 どこに向かっているのかわからない。 まだ、カチコチに固まった身体を、引きずられて、長い廊下を歩いて行く。 「―――に、……・の?」 どこにいくの、と訊いたつもりなのに、唇が震えて声にならなかった。 右側の片割れが、チラッとあたしを見た。 けれども右の彼女も、左の片割れもあたしの言葉を訊き返してはくれなかった。 助けに来てくれたわけじゃない、とあたしは、気が付いている。 「貴方が、ユーキですね」 双子が開けたドアの向こうには、身なりをビシッと決めた几帳面そうな男が立っていた。 細身の身体にぴったりと合った白いジャケットを着て、細い縁の眼鏡を右手で押し上げている。 「―――こ、こ……」 言葉を発したいのに、やはり、うまく話すことができない。 男は、チラッと双子に視線をやった。 すぐにそれぞれが別々の方向に動き出し、片方があたしに毛布を差し出した。 芯まで凍った身体がすぐには解消されないものの、毛布の暖かさに泣きそうになる。 「どうぞ」 次に差し出されて物を見た瞬間、本当に涙がこぼれた。 温まったカップから、湯気が出ている。 両手でしっかりとカップをつかむと、一口に口に含んだ。 こんなに、おいしい飲み物をあたしは飲んだことはない。 ほのかな甘さは、ハチミツのような味がした。 「もう、話せますか?」 しばらく待って、もう一度、男が話かけてきた。 「はい」 声がやっと普通に出せたのに、久々に地上で聞いた声は不思議とあたしの声ではないように感じた。 「貴方が、ユーキですね?」 「はい」 頷くと同時に、返事をした。 男が満足そうに、顎を撫でている。 「貴方には、今日からここで暮らしていただきます」 「はっ……」 意味がわからず、眉をひそめた。 「ここで、というのは?」 「この部屋で、という意味です」 部屋――― 初めて、あたしは部屋を見回した。 まるで昔の貴族が住むような豪華な部屋だ。 この世界に来て初めて入った部屋よりは手狭だけれども、どちらにしても立派な部屋であることには変わりがない。 「なぜですか?」 今の今まで牢屋にいたあたしに、突然、与えられた部屋に戸惑うしかなかった。 男は首を横に振るだけで、あたしの問いには答えてくれなかった。 「その者たちは、ジェインとライラック。双子の姉妹です」 はぁ、と返事ともいえない声を漏らした。 紹介されても、あたしはどうしていいのかわからない。 「貴方の侍女です」 「はっ?」 この男は、一体、あたしをどうしたいのだろうか。 「私は、ガイエン。宰相をしています。用があれば、ジェインかライラックに言っていただければ伺いましょう」 突如、あたしに対する対応が変わった。 奇妙な違和感が、あたしを襲う。 「もしかして……あの人に言ったことを信じてくれたの?」 「あの人?」 ガイエンが眉間のしわをググッと引き寄せた。 「黒髪の男の人。牢屋に居た時に、あたしに詰問をしてきた人よ」 なぜか、あたしの言葉を、ガイエンが鼻で笑った。 「誰の事か、わかりませんね」 ―――嘘。 だって、あたしはここに来て、彼以外には一度も名乗っていない。 ガイエンは、最初からあたしの名前を知っていた。 彼から聞いたに決まっているじゃないか。 「では」 ガイエンはあっさりと部屋から出て行こうとする。 あたしは感覚を取り戻してきた足で、立ち上がると、部屋を出て行こうとするガイエンの服をつかんだ。 ぎょっとした顔で、ガイエンがあたしを見下ろす。 「ここは、どこなの?」 あたしの質問に、ガイエンが顔をしかめた。 「―――グロリアの王城です」 ガイエンも、同じだ。 牢屋で会った男と同じ言葉を返す。 「あたしは日本という国で生まれ育ったの」 ガイエンは、肩をすくめてみせた。 「ニホンなんて国は、聞いたことがありません」 「―――じゃぁ、本当に異世界なの?」 異世界?、と首を傾げて、鼻で笑われた。 「そんな夢のようなことがあるとも思えません」 「でも、確かにあたしはっ……!!」 少なくても、ここはあたしの知っている場所ではない。 あたしの知識には、ない場所だ。 「少し、落ち着いたらいかがですか?そうすれば、貴方の本当の故郷がどこなのか、思い出すかもしれませんよ」 えっ、と顔を上げると、ガイエンの冷たい目があたしを突き刺すようにしていた。 バッと手を振り払われて、ガイエンがあたしに背を向ける。 「では、健やかに」 ガイエンはまるであたしが貴族のように、深々と頭を下げると部屋から出て行った。 取り残されたのは、冷たく振り払われた行き場のない手を見つめるあたし一人。 |