天上の華

#12 300年の月日

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結局、その日は図書室に行くことができず、改めて翌日、図書室に向かった。

 

今度は朝食を持ってきたライラックに場所を訊いてから、部屋を出たので、それほど迷わずに、図書室に着くことができた。

広い部屋に見上げるほど高い棚が、いくつも並んでいる。

本の独特の匂いとカビのような匂いが混じり合っていて、よく使用されているとは思えないような寂れた部屋だった。

 

あたしは、入り口の近場の棚から適当に一冊、本を抜き出した。

開いた本を、両手に広げて、大きくため息をついた。

 

もともと、予感はあった。

 

文字は読めない―――…

 

どういう原理で、言葉が通じているのかわからないが、文字はきっと読めないだろうと思っていた。

言葉は浮かんでくるのに、頭の中で言葉を文字にしようと思っても、ちっとも浮かばなかった。

 

おおよそ、予感はあったものの、不便なことだ。

あたしはこの世界のことをもっと、知らなくちゃいけない。

 

監視のもと―――あたしはまだ、この城に置いてもらえる。

けれど、?いつまで?という期日はない。

 

 

王の気まぐれか、明日、明後日、と言われれば、あたしは問答無用で城を放り出される。

いつ、どのような状態になっても、生きていけるようにあたし自身に知識という力が欲しい。

 

「―――ふーん」

 

どこからか、声がした。

パッと振り返るが、誰もいない。

 

「こっちだ」

 

不機嫌な声がして視線をそのまま下に向けると、足元に腰ぐらいの背丈の少年が立っていた。

まだ、あどけない顔に、妙にふてぶてしい表情を浮かべている。

「君は……迷子?」

あたしが膝を折って、視線を合わせると、少年の顔が真っ赤に染まった。

 

「この俺様が、迷子だと!?しかも、しゃがむな!!馬鹿ものがっ!」

少年の口から飛び出したとは思えないほどに、顔と言葉が一致しない。

上から目線の言葉の数々に、あたしは眉をひそめた。

 

「俺様は、ヴァネッサ・グランベリー。大賢者様だぞ」

「ダイケンジャー?何、それ?グロリアのヒーローかなにか?」

 

少年ぐらいの年だと、アニメや漫画のヒーローになりきっている子はいっぱいいる。

この子も、もしかしたら、グロリアのヒーローごっこをしているのかも。

俺様、なんて変わった一人称でしゃべるのもダイケンジャとかいうヒーローのマネなのかもしれない。

 

「―――貴様っ……」

 

少年が、うつむいてしまった。

何かフルフルと震えている。

やっぱり、心細いのかもしれない。

突然、泣きだすのかと、あたしは慌てて手を差し出そうとした。

瞬間、少年が顔を上げると「頭を下げろっ!痴れ者がっ!」と怒鳴った。

 

「俺様は、大賢者ヴァネッサ。見た目は、子どもかもしれんが、これでも、300年生きるグロリアの知識人よ」

「ダイケンジャって、戦隊物のヒーローじゃなくて、賢い人の賢者ってこと?」

「せ、せんたい?意味がわからんが、要は学者の上をいくものだ」

 

―――う、そを言っているようには見えない。

 

ふんぞり返っている様は、やっぱり、見た目と似つかわしくないが。

 

300年生きているって……誇張だよね?」

 

恐る恐る訊いたのに、ヴァネッサはフンッと鼻を鳴らして、「嘘なものか」と言い捨てた。

 

「えっ、この世界の人の平均寿命って何年なの!?」

もしや、そもそも、人の造りが違う?

あたしがやってきた異世界は別次元とはいえども、見た目も同じに見えたけれど、実は……

 

「―――俺様だけだ」

「ヴァネッサだけ?」

 

呼び捨てにしたことを気にしたのか、一瞬、ヴァネッサに睨まれた。

しかし、ヴァネッサはそれには触れずに、言った。

 

「世界の中でも、俺様だけが300年の時を過ごしている。他の者は、長生きしたとしても100年も生きられんだろうよ」

 

 

―――ちょっと、ホッとした。

 

「なら、なぜ、ヴァネッサは300年も生きられるの?」

「呪われているのかもしれんな」

ヴァネッサは、ハッと、乾いた笑いを漏らした。

子どもの姿で、明らかに馬鹿にしたような笑いを漏らしたヴァネッサは、あたしの目には切なく映った。

 

「同情はするな」

心を読んだかのようにビシッと図星を指されて、息をのんだ。

「おまえは、顔に心が出るな。今、俺様を?可哀そう?と思った、と顔に書いてあった」

「―――…」

 

「俺様が、不幸かどうか俺様自身が決める。俺様の生きた300年を知らぬおまえに、評価されたくはない」

 

―――ごもっともだ。

 

あたしだって、あたしの不幸を天秤にかけられたことを黒い青年に怒ったばかりだったいうのに。

 

「ごめんなさい」

あたしは素直に、頭を下げた。

頭を下げていたせいで、ヴァネッサの表情は見えなかったけれど、気配から怒りが消えていくのを感じた。

 

「―――おまえが、異世界から来たと言っている娘だな」

「えっ、あっ、はい。ユーキです」

 

とっさに敬うべきか!?、と頭に浮かんで、今更、敬語で答えた。

違和感を感じたのか、ヴァネッサが眉間にしわを寄せる。

 

「今さらだ。今更。馬鹿ものが。普通に、話せ」

「えっ、でも」

「気にするなら、最初から気にしろ」

「……なら。あたしの名前は、ユーキ。ヴァネッサ、よろしく」

 

あたしは右手をズッと突き出した。

付きだされた手をジッと見つめたヴァネッサが息を吐きながら、握り返してきた。

 

「ユーキ、おまえはなぜ、ここに居るんだ?」

ヴァネッサの言葉で、ようやく、あたしがここに居る目的を思い出した。

 

「あたし、この世界のこと知りたくて……でも、文字が……」

 

語尾が消えていくあたしの言葉に、ヴァネッサは目を細めた。

「言葉はわかるが、文字が読めないか」

「ヴァネッサは300年、生きてきたんだよね。今までに、あたしみたいにこの世界に来た異世界人っていないの?」

 

ヴァネッサは「居ない」と即答した。

 

「異世界のおまえが、この世界のことを知ってどうする?」

「もし、城を追い出されても生きていけるように、この世界のことを知らなきゃと思って……」

「?帰る?ためではないのか」

「えっ?」

 

あたしはとっさに、ヴァネッサの瞳の奥を見つめた。

コバルトブルーの瞳は、吸い込まれそうなほど深い。

 

「元の世界に帰りたくはないのか?」

「―――帰れるの?」

「さぁな」

 

帰りたい、わけじゃないけれど、帰れるのかどうか、聞いた声は震えていた。

あたしは、本当は帰りたい?

元の世界には、今までのあたしの歴史がある。

すべてが終わったその場所で、今でも、あたしには何か残されたものがあるのだろうか。

 

「だが、普通は帰りたい、というものではないかと想像しただけだ」

「―――そうかもしれない」

「元の世界には帰りたくない理由があるか?」

 

ぐっと、唇を噛んだ。

すぐには言葉が、出なかった。

即答できないあたしから、ヴァネッサは何かを読みとったようだった。

「そうか」と頷いた彼はもう、それ以上は訊いては来なかった。

 

「現在の世界の状況をどこまで、知っているんだ」

「ガイエンから、神話のようなものを聞いたけど……」

「世界の成り立ちだな」

ヴァネッサはクルッと踵を返すと、部屋の奥へと歩きだした。

「従いてこい」

少年の背中は、300年の重みを背負っているからか、小さいのにもかかわらず、安心感があった。

 

 


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